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ハズム・セカイ

やっぱり大好きでやまない「DEATHNOTE」の「L」の事を中心に、思いつくままに         「Lがいるだけで ワタシのセカイは 変わるよ」

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果てない空

一つ前の記事に、多くのはくしゅとコメントをいただき、本当にありがとうございます。
一つ一つのはくしゅを有り難い気持ちでいただき、
一つ一つのあたたかいコメントに、泣きました。
今回、お一人ずつお返事できず、申し訳ありません。







…約三年前、娘が生まれてから、今の家で地震がきたときに、
どこに居れば一番安全かをあらかじめ決めていました。
そして娘に対しても、地震がきたら絶対パパかママと一緒にいること、と
小さな地震でもその度に常に言い聞かせてきました。
それは、いつまたあの宮城県沖地震がやってくるのか、
おそらく宮城県に住む人たちはみんな心の片隅にあったことで。
子供の頃から学校などで、毎年6月に念入りに真剣に避難訓練をしたものでした。



急いでテレビをつけると東京のスタジオも大きく揺れていて、宮城北部が震度7、うちは震度6強で
何分経っても、いつまでも強すぎる揺れが収まらないので
このまま日本がちぎれて壊れて沈んでしまうのではないかと思ってしまいました。
その直後、電気・ガスは途絶えました。
翌朝、水も出ませんでした。


町は道路が所々で隆起・陥没を起こしており、古いブロック塀は倒れ
あちこちのお宅の瓦屋根はめちゃめちゃ。橋にも亀裂が走っている状態で。


あの日以来、自分の体が地震センサーのごとく敏感になってます。

毎日24時間ビクついていて、ちょっと大きい物音がするだけで苦しい位に心臓が跳ね上がります。
地震当日は特にずっと船の上で揺れている感じで恐怖と共にありました。

地震は夢にまで出てきて。
娘を守れるか守れないか…という所で目が覚めた瞬間、
リアルに地震が起きたり…という毎日。

娘の心も少し不安定な感じがするのです。
突然「じしんだー!」と叫んでミニチュアのおもちゃを
ぐちゃぐちゃに散らしてしまったりと、時々、今までにした事の無い事をするのです。
不安な心をしっかりみていかなければ、と思います。



下の記事を書いていたとき、私たち家族は近くの避難所にいました。電気が通るまで2日間。
毎晩、暗闇と余震で娘が何度も泣いて起きていたからです。


でも、うちはまだまだいい方です。
海辺に実家がある私の友人4人のうち3人の実家が流されたそうです。
家に住んでいた皆さんは無事のようです。
少ないガソリンを集めて実家へ行った人もいます。
翌日、いつも通り町のために仕事をしていた友達もいました。

それから、前に夫と一緒に仕事をしていた20代の女の子の行方が未だにわかりません。



夫の職場は海沿いの街にあり(職場は津波にのまれず無事でした)、
大切なものや大切な人をなくした方が非常に多く、お客さんに
「頑張りましょう」と簡単には声を掛けられない程
町の人はみんな困り果て疲れ果てている状態に見えるんだそうです。



うちは家族も家も無事で電気水道使えるようになりましたが、
今あるプロパンガスは、残っているだけです。
管轄の下水処理場も全壊し、いつ汚水が街に溢れ出るかわかりません。
実際、既にマンホールから溢れている町もあるようです。
食料も生活用品もまだ行列です。
無いものがありすぎます。
それでもみんな節水節電を心がけています。



今週夫の親戚が、秋田から用事のついでに野菜やお米、オムツ、牛乳などを持ってきてくれました。
親戚は車で来る途中に仙台東部道路という道を走ってきたそうなのですが、
その道路から海側数キロが果てしなく何も無かったそうです。
果てしなく空は広がり地面は本当に本当に何も無く、
あるとしたら船がのりあがってたりとか、自動車が転がっていたりとか何かの残骸で、
涙が止まらなくなったそうです。


そのような中を来てくれて。有り難くて有り難くて、親戚が帰って行った直後、号泣しました。
母親としても、もっと強くなりたいです。



…一方で、原発の問題もあります。
夫の実家、秋田に行く手段もあります。もしかしたら今後行くこともあるかもしれません。

でも、どの問題も諦めてはいけないと思います。


危険を顧みず現場で闘っている全ての人達には感謝の気持ちと応援を、
いつも心の中に持っています。

「天罰」とか「天の恵み」とか言ったものは、
非常に厳しい事を言いますが、
本来は優れた方だろうに、私にとっては人として
何かしら大切な部品が欠けているとしか思えません。



そんな中、ようやく観れたテレビで、記事タイトルの歌を聞いたときは
夜、一人で泣けて泣けて大変でした。
避難所とかで眠れないときなどに、この歌を思い出していたからです。


そして、私の王子様が真剣に悩んで泣いてくれ、
「頑張れ」ではなく「踏ん張れ」という言葉を送ってくれた事にも泣けました。

私も自分のこともありますが、何より、大切なものを一切合財奪われたり
恐怖や苦痛を味わっている全ての人の事を思うと、本当に苦しくて仕方ありません。




もしLなら…「頑張れ」ではなく
「一緒に闘いましょう」と、言ってくれるでしょうか…。

ただ、私の中のLはあれからそう言ってくれています。






悲しい話ばかりでごめんなさい。
でも、今の私の心と周りの状況はそんな感じなのです。




今回あの地震により、
大切にしたくても守ることができなかった方々、
生きたくても生きる事ができなかった方々、
生き延びても未だ辛くて悲しい思いをしている方々、
全ての方々にお悔やみとお見舞い申し上げます。

東北の人間は我慢強いですが、辛いのが平気なんじゃないです。
自分だけ、辛いなんてことが言えないんです。


自分と家族の心と体を大事にして、ゆっくりでもいいから、
みんなで一緒に立ち上がりましょうね。

| ひとりごと | 15:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑















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